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1-12 若草には陽を

「お疲れ様でーす」
ファイルやらノートやら、大量の資料を束にして小脇に抱えながら、教員室へと一人の影が入っていく。前髪も短めに切りそろえ、主張の少ない、度の強めな黒縁眼鏡をかけている背の高い男性だ。
「杉本さん。お疲れ様です」
その男性の名は、杉本。呼びかけたのは、A組の担任である諸磯那代だ。
「諸磯さんじゃないですか。ちょいと諸磯さんにお話があるのですが…これ、良いですか?」
コンビニで購入したのだろうか。杉本は昼食を入れたビニール袋を掲げながら問うた。諸磯は何のことかと首を傾げたが、その意図を理解し、
「ああ、お昼ですね。大丈夫ですよ」
にっこりと笑いながら快諾するのだった。

「いただきます」
「いただきます」
諸磯は自分で作ってきた弁当に、杉本はコンビニの弁当に手を合わせる。
「諸磯さん、毎日お弁当作ってらっしゃるんですね。マメだなぁ」
「いや、そんな…ありがとうございます」
杉本さんがコンビニ弁当なのも意外です、と諸磯。
「面倒って言ったらそれまでですけど、時間が勿体なくてですね。ははは」
「ふふ、お気持ちは分かりますよ」
杉本と諸磯は、それぞれ透明なプラスチックの蓋と弁当箱の蓋を開ける。
「諸磯さん、天候観測隊の顧問になったでしょう。うちの生徒がお世話になってます」
杉本が割り箸で唐揚げを摘まみながら、頭を下げた。
「いえいえ。ええと…黒羽君に、赤坂君。それと、エミリーちゃんが頼みに来てくれたんですよ」
自分で作ったらしい肉じゃがをつつきながら諸磯が応えた。
「新任の私でも大丈夫なのかなと思ったんですけど、何だか、話通っちゃって…」
「うち、緩いですからねぇ。そんなにすんなり行くんだ、みたいなことありますよね」
ははは、と杉本は笑った。
「ここね、見えるんですよ」
杉本が窓際から身を乗り出して外の景色を眺め始めた。諸磯もそれに倣うと、校舎の間に設けられた中庭が眼下―――教員室は二階のフロアに設けられているので、見下ろす形になる―――に広がっていた。
「中庭が、ですか?」
「違う違う、あの辺」
杉本が指差す先を注視すると、数人の生徒が何やら立ち話をしていた。
「あぁ、噂をすればじゃないですか」
諸磯は顔を綻ばせた。中庭の一角で迅、翔太、エミリーが計測を行っていたのだ。
「…ん?」
かたや杉本は眉間に皺を寄せて怪訝な顔をした。もう一人の影を見るなり、胸ポケットからボールペンと小型のメモ帳を取り出すと、利き手である左手で何やら書き綴り始めた。『白和泉、天候観測隊に入隊?』と記し、周りに赤いペンで大きく丸を書く。
「もう一人は、お友達でしょうか?」
「友達も友達、白和泉麻望ですよ」
「シライズミ…え、白和泉さんですか!?」
「よくご存じですね。接点があったんですか」
観測隊に加わって腕を組んでいたのは、なんと白和泉麻望だった。現状のやり方に文句でも言ったのだろう、彼女は呆れたように肩をすくめている。
「ええ、つい最近の風紀検査で…」
ある日の諸磯は学校の入り口、つまり全校生徒が通らなければならない校門に立って、抜き打ち風紀検査をしていた。麻望はそれはもう模範生の余事象という言葉がお似合いの風貌なので、当然諸磯の目にも留まり、注意を促したのだが。

―――私杉本先生のクラスなの。髪染めてるのだって、パーマだって、とっくに許可貰ってますし。お節介やめてくんない?

彼女特有の高圧的な物言いでかわされてしまったのだった。
「あいつ相変わらず尖ってんな~、俺から注意しときます」
杉本が頭の後ろで手を組んで、座っていた椅子の背もたれに背を預けたのだが、諸磯は手を左右に振って断った。
「あっいえ、大丈夫ですよ、その後…」

―――し、知らなかったなら良いのよ。派手…って自覚はあるし…アンタのお節介に免じて…というか…つ、次からは気を付けるわ。

なんと手のひら返しに謝られてしまったのだった。
「はっはっは!そんなことが…面白いですねぇ」
その話を聞きながらメモを取り、杉本が笑った。
「そ、そんな記録するような話ですか…ね?」
怪訝な顔で、諸磯。彼女は白米をつつきながら、物珍しそうな目で杉本のメモ帳―――『あくまでメモ帳!時間見つけ次第すぐさまノートに転記すべし』と、表紙に油性ペンで書かれている―――を見つめていたが、ふと杉本の顔を見上げると、彼は何やら悪巧みをするように不敵な笑みを浮かべて諸磯の方を見つめていた。
「さては諸磯さん、俺の趣味をご存じない?」
まるで特大のスクープを手にした記者のように、話したくて仕方がないといった様子で諸磯に詰め寄る杉本。
「ではお話ししましょう…何を隠そう、俺の趣味はデータ収集!」
杉本は軽快にウィンクをかまし、メモ帳を諸磯の眼前に掲げた。唐突に突きつけられた書面にピントが合わない。そしておかしな話だが、ウィンクに慣れているなと思った。まるで毎日のように友人同士で自撮りしまくっている女子高生のようだ。
「周囲のありとあらゆる人間の情報を収集し、保管(アーカイブ)する!それが俺の野望!あくまで個人利用に留めつつね!だから手始めに琉晴の生徒について徹底的に調―――」
「杉本さん!」
そう杉本が早口気味に語り出したところで、何者かが叩きつけるような勢いで肩に手を置き、唐突に会話が遮られてしまった。

「もう間に合ってるんですよそういうのは。諸磯さんまで巻き込んじゃダメですって」
「あ!和田さんじゃないですか。お疲れ様でーっす」
背後に立ったのは和田積男だった。彼の神経質そうな顔に、苛立ちのためか眉間の皺がプラスされている。和田は杉本よりも教員歴が長いため先輩の立ち位置であるはずだが、杉本は軽い口調で挨拶を返している。
「お疲れ様でーっす、じゃあないんですよ!貴方がやっているのは諜報活動!ストーカーも同然ではありませんか!」
なにも昼休みの穏やかな時間まで怒り狂わなくても、と諸磯は独り怪訝な顔で思ったが、もしかするとこのやり取りは自分がこの学校に配属される以前から日常的におこなわれていて、それならば和田がいい加減にしろと激昂するのも無理はないのかも、と思った。
「はい注目!俺がやっていることは生徒に寄り添うことであってストーカーじゃありません!何、美少女高校生のお家に上がり込みたいから身元の調査をしてるスケベ教師なんかじゃありませんよ☆」
「そんな清々しい笑顔で星飛ばされても困るんですよ!星と一緒に貴方の首まで飛びますよ!」
華麗にウィンクをキメた杉本に対し、その額にぶつかるかと言わんばかりに人差し指を突きつけて和田が怒鳴りつける。
「お、またツッコミのスキルを上げられましたね。今度はどれだけお笑いで勉強されたのかしらん?」
「な、なななな!?」
 お笑いという単語が登場した途端、和田があからさまに狼狽している。
「俺は何でも知ってますよ。貴方の最近の日課はお笑い番組でツッコミのスキルを上げること。作業中に聞いているのは流行りのJ-POPと言っているが、実は落語。何てったって俺の趣味は…」
ふっ、と不適な笑みを浮かべ、
「データ収集ですからね!」
アニメならばビシィッ!という効果音と共に背後から強烈な光が迸るような、仁王立ちの構図で杉本が言い放った。
「ぐっ…ぐぐぐ…この…覚えておきなさい!」
こちらもさながら撤退するアニメの敵キャラクターの如き捨て台詞を吐いて、和田はそそくさと姿を消してしまった。
「ぷぷ、チョロいチョロい」
勝者の余裕といった様相でくすくすと笑うと、杉本は席に戻って弁当をつつき始めた。
「和田さんは知ってるんです、俺の趣味が他人のデータ収集だってことを」
「あはは…そうみたいですね」
「でもふざけてるようで俺、結構真剣ですよ?どんな人に対しても」
諸磯は苦笑いで応じていたが、杉本が真剣な眼差しでそう告げるので、不覚にも胸が高鳴った。遠巻きにしか見たことがなかったけど正面からよくよく見てみたら結構整った顔立ち…って、そんなことはどうでも良いんです!と諸磯は心の中で首を振った。
「あ、どんな人のデータに対しても、の間違いですね。ははは」
杉本の訂正に、諸磯は思わずがくりと項垂れた。そんな彼女を余所に、既に杉本は新たな生徒に目を向けている。
「ここは中庭に面した窓なので、中庭は勿論のこと、校内の廊下を歩く生徒も見ることが出来る。琉晴構内において同じ時間で得られるデータの母数が一番多いのは、此処なんじゃあないですかね」
個人的要チェック人物来ました、と彼が指差す二階の廊下の窓の辺りを目で追うと、諸磯の見知らぬ生徒とA組の佐倉聡子が何やら真剣な表情で佇んでいるのが見えた。
「あれは佐倉さんと…」
「D組の、降矢侑斗です」
「ああ、杉本さんのところの子ですね」
杉本は口元に手を添えて、じっとその様子を見守っていた。
「最近、佐倉が落ち込んでいるような素振りを見せませんでしたか?」
その二人から目を逸らさずに、諸磯に問いかける。
どうだろうか。諸磯には心当たりがない。この人はD組の担任のはずなのに、何故自分のクラスの生徒の内情にまで精通しているのだろう?
「俺は失恋したんじゃないかと見てますが」
「し、失恋…」
杉本の瞳の先の二人は、肩を落とした様子でぼそぼそと喋っているようだった。普段はおちゃらけている侑斗が、柄にもなく真剣な表情で聡子を元気づけているかのように見えたが、本当のところはどうなのだろうか。
「そういえば降矢君、最近昼休みに佐倉さんの所に会いに来てたと思います。いつもあんな風に、お話してたんでしょうか」
首を傾げながら諸磯が零したが、杉本の返事はなかった。あまりにも長い間沈黙しているので辛抱できずに隣を見遣ると、杉本は既に侑斗と聡子のことなど見ておらず、目を見開いて諸磯の方を覗き込んでいた。
「諸磯さん、それ…」
諸磯と目が合うなり杉本は口の端をゆっくりと上げ、
「超、ナイスです!」
親指を立てながらとびきりの笑顔で言ってみせた。
杉本は大層嬉しそうにメモ帳に『降矢、最近(いつ頃?)の昼休みに佐倉の元を訪れていた』と記し、残っていた唐揚げを一口で頬張ってしまった。
「やはり兆しはあったんだ…貴女のお陰で真相に一歩近付きましたよ、諸磯さん」
「そ、そうですか、お力添えできたようで何よりです」
「有り難い限りです。感謝してますよ」
「いやぁ…あはは…」
不本意ながらも他人の情報をリークしただけで大喜びしている杉本。万事に興味の尽きない子供を見ているようで、諸磯は戸惑いながらもどこか温かな気持ちになる。
「はっ!俺としたことが、本題を忘れてました。うっかりうっかり」
そんな杉本はぽん、と手を打って諸磯に向き直る。
「そんな諸磯さんにもう一つお聞きしたいことがありまして。A組に、絵に描いたような問題児って居ませんか?」
「問題児…?」
「そう。貴女の手に負えない、ガキんちょ」
おかずの焼き鮭を頬張りつつ、諸磯は頭を捻る。絵に描いたような問題児とは何のことだろう。ここまでの何分間かで捉えた杉本の人物像から言っても、恐らく何らかの確信を持った上で―――彼の中で既に答えは出ているのだ―――問うているのだろう。そしてその答えを自分自身の口から聞くのを待っているのかも、と考えた。
「ええと…ヒントを頂けませんか」
「ヒント?」
杉本はきょとんとしたが、ほう、と感心したように頷いて、
「もしかすると、もう貴女には俺の考えてることが分かって頂けてるのかもですね。ヒントは、『貴女が最近生徒から相談されたこと』です」
と、答えた。
「『問題児』、『相談されたこと』……」
少し考えて、思い当たる節があった。
「…六刻君と、碓井君のことでしょうか」
「ドンピシャだ」
杉本は空になったプラスチックの容器をビニール袋に無造作に突っ込みながら頷き、それを脇にやって、何処からか『特別版・謎生徒編』とマジックで大きく書かれたノートを取り出して開いた。現れたそのページには、六刻冬也という名前と、縦横4㎝×3㎝に切り取られた彼の写真―――ノートの罫線に沿って貼られており、ページに対して全く曲がっていない―――が貼られていた。
「どうして杉本さんが知っているのか全く心当たりが無いんですが、確かにある生徒から以前相談を受けました。六刻君と碓井君を何とかしてくれ、と…」
「データ収集が趣味なんでね。で、その二人、そんなにどうしようもないんですか?」
「いや、二人というよりは…六刻君、でしょうかね」
「やはりな…」
長いため息をつく杉本。
「…その子が言うには、何を言っても取り合って貰えないんだそうです。いくら注意してもかわされてしまって、私の手には負えない、と。具体的には、掃除をサボるとか、日直をサボるとか、地味に神経に障るようなことを…」
「地味に嫌なやつですね」
「その生徒は…とても責任感が強いので、六刻君の穴埋めを全て自分一人でおこなってしまうんです。やらなくて良いんだと言っても譲らなくて…」
「偉い子ですねぇ。溜め込まないと良いんですが…って、もう諸磯さんに相談してる時点で溜め込んでるか」
諸磯の報告を聞きながら、うんうん、と杉本は眉間に皺を寄せつつ頷く。そののち、あ、と間の抜けた声を出し、諸磯に指の差す方を見るように促した。
「ほらほら。噂の力ですよ」
「あら…」
先程まで侑斗と聡子が話していた廊下を、冬也と知生が肩を並べて歩いていた。
「ね?面白いでしょう、この席」
ニタニタと笑って、杉本は座っている椅子の背もたれを軽く叩いて見せた。ええ、なかなか、と諸磯は微笑んで同意する。
「本当に仲良しですね、あの二人」
「A組でもいつも一緒なんですか?」
「そうですね。いつもゲームしてます」
「ゲームというと…」
ムツキコーポレーションの?と杉本が付け加えたが、そこまでは、と首を振った。
「六刻と碓井がどうしていつも一緒に居るんだろうって、考えたことはありませんか」
問いかける杉本。
「俺はこの学校に存在するどんな人間関係の馴れ初めも調べてるつもりなんですが、彼らのことは手つかずでしてね。何故なら…」
利き手でくるくると弄んでいたボールペンの先が、遙か遠くの知生へと向けられる。
「碓井には一年生の時の記録がほとんど無いんです。しばらく、不登校だったから」
諸磯の視線の先で、知生の前髪で隠れかかった瞳が不安そうに揺れる。冬也はそんな知生の肩を抱いて、親指を立てて笑って見せた。何やら元気づけている様子だ。何だか既視感があると思ったら、先程の杉本の動作に似ていた。
「例えばAという生徒の人間関係の中にはたくさんの人間が含まれていて、その中に生徒Bが含まれていて。で、Bの人間関係には、Cが含まれているとして。Cの人間関係くらいにもなってくると、再びAが何らかの形でその中に現れたりするじゃあないですか。しかし、碓井の場合はそれが全くと言っていいほど無い」
「……碓井君は、琉晴の他のどの生徒の相関図にも出てこない…んですか?」
諸磯が恐る恐る尋ねると、
「そういうことです」
きっぱりと、杉本は応えた。
「ただし、六刻とは例外ですけどね。彼らは紛れもなくお互いを友人だと認識していますよ。立派な相関図の中の人間です。ただ…」
すっ、とボールペンの先が隣の冬也に移る。
「その六刻は一年前のある時期を境に全ての人間関係を辞めちまっている。一年の頃同じクラスだった生徒も洗いざらい調べましたが、今は連絡を取っていないとか、個人的な話は一切しなかっただとか、誰もプライベートに迫れていない状態なんです」
「そう、なんですか…」
全ての人間関係を辞めて、知生の側に居る。重苦しい言葉で表現された彼らは対照的に楽しそうに、肩を並べて廊下を歩いていた。
「実は六刻が所属していた一年のクラスには、碓井が居るんです。不登校だった碓井と接点は無かったはずなんですが、あいつらの間に何があったんでしょうねぇ」
杉本は難しい顔で、腕を組む。
「いっそ、当時の担任の先生に聞いてしまったら…?」
「ええ、やりましたよ。それが和田さんなんです。その時きっぱり断られちゃって、個人のことをそうやって嗅ぎ回るんじゃない!なんて怒られちゃって」
なるほどそういうことか、と諸磯は頷いた。杉本はそこで和田に先程のようにこっぴどく叱られて、協力を仰げなくなったのだろう。当たり前と言われれば当たり前だが。
「不登校…というと、溜まったプリントとか届けに行く生徒が選ばれたりするものですが、そういう生徒は居なかったんでしょうか」
「……その線、アリですね」
杉本がほう、と感心のため息をついて、メモ帳にまた何やら書き記し始めた。そして、諸磯さん冴えてるなぁ…俺に協力してくれないかなぁ…とぶつぶつ呟く。その諸磯は、聞かなかったことにしよう、と上の空で座っているだけだった。
「そんなこんなで、こっそりのつもりで二人に探りを入れてたのがバレたんでしょうね。六刻に物凄い剣幕で詰め寄られたことがあって」
彼はうーん、と唸りながら回想した。

--
―――アンタが杉本ですか?

六刻冬也は好青年のそれともとれる笑顔を顔に貼り付けて、ズボンのポケットに手を突っ込みながら、杉本の前に現れた。それは下校時刻に、帰っていく生徒に挨拶をするという名目でデータ収集を試みていた時のことだった。
そうだ、しかしどうして知っているんだととぼけながら問うと、

―――しらばっくれんな。アンタが何をしようとしてるか、俺は知ってる。今日はシウが居なくて残念だろう?探したって、居ないものは居ませんよ。

などと、鋭い視線で睨み付けながら応じたのだった。
面白い人間だ。ほう、と短く返事を寄越しながら杉本はそう直感的に判断した。そして同時に、シウという単語が碓井知生を指すあだ名なのだと思い当たった。

―――バレバレなんだよ、その見え透いた手口。ヘッタクソな嘘つきやがって、この俺に敵うとでも思ってんのか?大人が何でも出来ると思って付け上がってんじゃねえ。たかだか10年そこら余計に重ねたハンデくらい、それを上回る悟りでいくらでも弾き返せんだよ。年齢に甘んじてごろ寝してんな、クソッタレが。

あまつさえ恐れなど知らぬ顔で、喧嘩を吹っ掛けてくる。
普通の人間ならばそこでプッツン、激昂して首根っこを掴み教員室まで引きずり倒すのだろうが、杉本からすればますます興味をそそる対象でしかないので、素直に彼の舟に乗ってやることにした。

―――流石に大人相手に言い過ぎじゃないのかな。俺だってこう見えて、ごろ寝してるわけじゃないぜ。お前よりも余計に積んだその10年を足がかりにして、更なる高みへ走り続けてるさ。お前の到底追いつけないような、もっと速い速度でな。いやあ、どっから来るんだろうな、その若すぎる自信?俺は自分のやりたいことに正直に生きるまで。お前に何言われたって、データを集めるだけさ。

ふふん、と鼻を鳴らし、腕を組みながら自信たっぷりに―――杉本にとって紛れもない真実なので、虚飾でも何でもない―――答えてやると、冬也は高く舌打ちをした。お前の憤り、激情をもっと見せてくれ。そう期待して、冬也の言葉を待った。

―――今に見ていやがれ…テメェみたいなプライベートに干渉したがるお節介なクソ野郎が間違ってることを、証明してやる。俺は絶対負けない…シウは俺の物だ、お前なんかに渡さない!

もしも包丁なんぞ持っていたら間違いなく斬りかかってくる、そんなギリギリともとれる状態で、冬也は目をかっぴらいて怒りに震えながらそう言い放った。続けて、
―――…ブッ殺すぞ。

物騒な捨て台詞を吐いて、ふっと視線を逸らすと、冬也は下校する生徒の人混みへと消えていったのだった。

--
「その日碓井は病欠だったんですよ。言うなら今しかないと思ったんでしょうね、とんでもない宣戦布告でしたよ」
ははは、と笑って杉本は語るのだが、
「ひえぇぇぇ…何ですかそれ、怖すぎます…!」
そんなことされたら絶対立ち直れない、と諸磯は悲鳴を上げながら机にうずくまった。
「ま、喧嘩を買ったお陰で二度と本人達に近付けなくなりましたけどね。その代わり六刻にとっての碓井が本当にかけがえのない存在だってことが分かりましたし、結果オーライです」
そうなんでしょうかね、と諸磯はどんよりしていたが、
「得たぶんだけ失う物だってありますよ。ギブ・アンド・テイク的な」
軽く笑いながら、杉本は応えるだけだった。

「あと可能性があるとしたら、白和泉ですかね」
「これまた、どうして?」
意外な名前が出てきたので、諸磯はきょとんとする。
「ちょいちょい」
耳を貸すように促され、杉本が顔を寄せる。突然近付いたその距離に諸磯はどぎまぎするが、思い過ごしということにしておこう、何も考えない!と諸磯は拳を強く握って、恐る恐る耳を近付けた。
「…も・と・カ・ノ、なんですよ」
囁き声で、杉本はそう告げた。
「えッ!?本当ですか!?」
意外も意外、全く予想していなかった答えが杉本の口から告げられ、諸磯は思わず仰け反った。あの六刻君に限って彼女なんか作るんだろうか、と、失礼を承知で戸惑いを隠せない。そうなんです、と杉本は頷いた。
「白和泉本人の口から聞き出すなんて流石の俺でも恐れ多くて出来ませんよ。しかし天は俺に味方した!彼女は天候観測隊に入隊もしくはそれに準ずる状態になっている。メンバーにその話を振る瞬間を虎視眈々と狙い続け、そして…!」
彼はその瞳をまるで子供のようにらんらんと輝かせて。
「…ばっちし!六刻の情報、仕留めますよ」
諸磯に向かって、ピースサインをしたのだった。思わずその特大の決め顔に、ふっと笑みがこぼれてしまう。

よくもまぁ、ここまでこてんぱんに言われてもなお、生徒個人に固執…いや、寄り添おうとするものだ、と諸磯は感心した。それはまさしく、子供の際限ない万事への興味とも形容すべき彼の異常なまでの情報収集欲から来るものなのだろうが、結果的に生徒と寄り添えるのなら良いのではないかと、彼女は杉本を認めるようになっていた。絶対に真似などしたくないが。
「俺の話に付き合って、挙げ句笑ってくれる人なんて諸磯さんくらいですよ。嬉しいな」
そんな諸磯を見て、杉本はにっこりと笑って感謝の意を告げた。
「いや、そんなこと…」
照れながら諸磯は答えたが、
「ああ、諸磯さんのことも今後徹底的に調べるつもりなので。覚悟しといてくださいね」
と、ケロリとした顔で杉本は言ったのだ。
「え、ちょっ、え!?」
狼狽する諸磯を余所に、杉本の笑顔は不敵なものに変わっていて。
「隠し事はありませんか?過去に負い目はありませんか~?」
そう脅しながら、諸磯ににじり寄るのだった。

「ひ、ひ、……ひぃ~~~!勘弁してくださぁぁい!」
前言撤回。やはりデータ狂杉本、侮れず。超危険人物に目を付けられてしまった。のんびりとした昼下がりの琉晴に、諸磯の断末魔がこだました。