愛のかたち
愛のかたち 麻望の場合
一体どうして、休日のショッピングモールというのは、どうしてこんなにも手を繋いで肌を寄せ合うカップルにまみれているのだろう。人前で手を繋ぐという行為にはどんな意味があるのだろう。時折、人目を気にしない女が、男の肩に額を寄せるのは、何故だろう。他者からの承認を得る為?溢れんばかりの幸せを、身体に蓄えておけずに、地面に逃がす為?
「本当に、麻望はいつも難しい顔してるね」
白和泉麻望は、ガラスに阻まれたウィンドウの向こうに飾られている今シーズンの流行をふんだんに取り入れたコーディネート―――ネオンカラーのピンクのスカートが眩しい、まるで賑やかな繁華街のようなものだった―――を見ながら、ぼうっと考え事をしていた。無表情を取り繕っていたつもりだったが、若干眉根を寄せていたのだろうか。琉晴学園の生徒である中岡琳に顔を覗き込まれながら、声を掛けられた。
「別に」
短いため息をついて、麻望は応える。
「で、いつもおんなじ答えが返ってくる。面白いね」
にへへ、とよく分からない笑みを湛えながら、琳は麻望の周りをゆっくりと歩き回る。
「面白いって何よ、何も考えてないんだから、答えは『別に』でしょ」
「そんなこと言って考えてるくせにさ」
麻望の周りを一周するかしないか、といううちに、琳は別の店の方向へと歩き出した。その背中を目で追いながら、麻望ははぁ、ともう一度短いため息をついて、彼女の後について歩を進めた。
麻望と琳は、琉晴学園から少し離れたショッピングモールに来ていた。特に買うものも決めずにただぼんやりと色々な店を回っては、この服がほしい、この雑貨がほしいなどとその場その場で会議を開き、いや、もう少しほかのところを見てからにしよう、と会議を中断し、次の店へ…というノープランも良いところなショッピングに興じていた。散々試着を繰り返した挙げ句レジも通らずに外へ出て行く姿勢は店側からすればたまったものではないが、財布の中身と相談しながらお洒落に手を出す高校生には必要不可欠であろう。
「これ!麻望に似合うんじゃないの」
琳はハンガーに掛けられたフェミニンなワンピースを、麻望の前に差し出した。なるほど、近くで見ると、これはフェミニンもフェミニンだ。白地にピンクを基調とした花柄の柔らかそうなワンピースが、麻望の視界の中で回る。
「いや、アタシ、こんな可愛いの似合わないから…」
「良いから着てよ~、というか、単に私が着せたいだけ」
「うぅぅ…」
正直、こんな華やかな服を着て表に出るのは気恥ずかしい。私は可愛いですと全身を使って自己紹介している気がして、とてもではないが着られない。麻望は曖昧に断ろうとするのだが、琳に肩を押されてしぶしぶ試着室の前までやって来てしまった。
「…で、着たら、良いわけ?」
麻望はカーテンの前でげんなりしながら振り返ろうとしたのだが、
「うん。麻望に似合うと思う」
振り返るか否かというところで、琳は麻望の背後から手を回して、耳元でそっと囁いた。そうして、そのハスキーな掠れた声に反応する間もなく、麻望はあっけなく解放され、気が付けば琳と麻望は試着室の分厚いカーテンで隔てられていた。全く、こういうところだ。麻望は少し火照った顔を冷ますように、ふるふると首を振って着替え始めた。
琳は、パーソナルスペースが狭いのか分からないが、麻望に対して頻繁にスキンシップを試みる。高校でも琳は昼食の時間になると、広げた弁当―――琳の手作りらしい―――の唐揚げを箸で摘まんで、食べさせてあげると言わんばかりに、あーんと声を掛けながら口元に持って行く。そうして、麻望は可愛いねぇと、頬をつついたり頭を撫でてくる。男にそんなことをされたらあまりの気持ち悪さに発狂ものだが、琳に触れられるぶんには―――少なくとも麻望は―――構わない。可愛いね、と褒められるのが気恥ずかしいだけで、快か不快ならば快なのだが。
「はぁ…」
ため息をつきながら、麻望は自分のワンピース姿を鏡で確認した。花、花、花―――麻望の全身が可愛らしい花柄で埋め尽くされている。ふんわりとした裾が、身体を動かす度にゆらゆらと揺れて、柔らかな花が舞っているようだ。
「もしもし麻望さぁん。着替えましたかぁ」
タイミング良く琳がカーテン越しに尋ねてくるので、着替えたけど、とぼそぼそと返事をすると、一気に幕が開かれた。
「かんわいいぃ~~」
プリンセス・オン・ザ・ステージ。可憐な少女が、ちっぽけな服飾店のランウェイに舞い降りた。麻望が戸惑いがちに歩を進めると、オーディエンスは琳たった一人だったが、賞賛の拍手が送られた。
「麻望は胸がおっきいから切り返しになってるほうがシルエット綺麗になるね。よっ、ナイスバディ~」
オーディエンスに服越しにヒップのシルエットをなぞられ、ひっ、と声が漏れた。
「オヤジかっつの」
麻望が真っ赤になりながら噛み付くと、琳はへらへらと笑っていた。
麻望の口癖は「彼氏ほしー」である。ホームルーム中も、一人で歩いているときも、天候観測隊で活動している時も、いつも頭の中は「彼氏ほしー」で一杯なのである。何故なのか、麻望は理由を考えたことがない。麻望からすれば、女性はみんな「彼氏」を欲しがるものであり、それが当たり前だと思っていたからだ。流行のリップを持っている、流行のファッションをしている、といったように、麻望は「彼氏」が居ることを女性のステータスの一つとして捉えており、それを持っていない自分は、理由は分からないが立場の低い存在なのだと思っていた。このショッピングモールには、相変わらずカップルであろう男女が歩き回っている。それらは各々手を繋ぎ、笑い合って、二人だけの時間を過ごしている。何故ステータスが満たされた上でさらに相手と手を繋ぐ必要があるのかは分からないが、とにかく彼等は麻望からすれば勝ち組であり、強者だった。友人である琳とばかり時間を過ごしている自分を恥じたことはないが、女性の社会では私はきっと下流なのだ、と根拠もないまま納得していた。恋とは、愛とは何か知りたくて、辞書で引いたり、インターネットで検索してみたこともある。しかし、行く先々で書かれている『女の子はみんな男の子に甘えたいと思っており、甘い時を一緒に過ごしたい生き物である』というそもそもの前提が麻望には理解できなかった。中には麻望と同じように難色を示す人もいたが、それでも人を愛したいそんな人々は、口を揃えてこう言った。
【それが、我々なりの愛のかたちではないかと思っています。】
結局のところ、麻望は琳に乗せられて、ワンピースを購入してしまった。いつ着るんだとため息をつくと、私と出かけるときに着れば良いじゃない、とのんびりとした返事が返ってきたので、気が付けばレジに並んでしまっていたのだ。そうやって、琳のペースに乗せられながら、麻望は仕方ないわね、しょうがないわね、と流されながら過ごしている。それはそれで心地よいので、構わないのだが。
「楽しいね、人のお洋服を選ぶのは」
「琳が楽しければ良いんだけど…」
フードコートにやって来た二人は、昼食を取って、ジュースを啜っていた。
「変な男の前で着ないでよ、可愛すぎるから」
へらへらと笑いながら、琳は麻望に冗談交じりに忠告した。男…麻望が考えを巡らせると、すぐに六刻冬也や黒羽迅の顔が思い浮かんで、麻望は下唇を噛んで苦い顔になる。
「え、一緒に出かけたい変な男がいるの?」
そんな麻望の態度を見て珍しく驚いたような顔で琳が問うのだが、バカじゃないの、居るわけないでしょ!と力一杯否定すると、あっそう、と琳はいつもののんびりとした表情に戻った。
「そうそう。聞きたかったんだけど、麻望、気になってる人はいるの?」
のんびり女は、再び麻望に尋ねた。真意を図りかねて、麻望は眉間に皺を寄せるのだが、気になっている人というと…と考えて、
「まぁ…居ると言えば居る…けど」
と正直に答えた。
「わあ本当に」
再び驚いた顔に戻る琳。
「でもね、琳、違うのよ」
麻望は謎の否定から入り、
「私は『彼氏』が欲しいだけなの。良いなぁと思う人はそこらじゅうに居るけれど、そんな人とどうなりたいかと言われれば、どうでも良い…というか、この人じゃなきゃダメって理由はないのよ、今のところ」
うーん、と唸って、
「言い方が悪いけれど、何というか、居るっていう事実が欲しいだけで誰でも良いの。アタシには、人を愛するってことがどういうことか分からないから、それが分かるまでは『居たら嬉しい』くらいな気がするのよね」
あっ、と声を上げて、
「同時に不特定多数の人と関係が欲しいわけじゃないわよ!?たった一人よ!」
と、訂正した。
「…なるほど?」
琳は曖昧な返事をしつつ、珍しく何かを真剣に考える素振りをしていた。
「逆に聞きたいんだけど、琳には気になってる人がいるの?」
ほ?と間抜けな返事が返ってきた。琳からすれば麻望に質問されること自体が珍しいので、それも含めて驚くべき出来事だったのだろう。しかし、
「いるよ」
と、きっぱりと答えた。
「えっ、何組?」
「さぁ」
「誰?私の知ってる人?」
「どうでしょう」
「校外の人ってこと?」
「どうかな」
麻望は立て続けに3回攻撃したが、悉くひらりひらりとかわされてしまった。いつも飄々としている琳に振り回されている麻望からすればたまったものではなく、悔しさでますます眉間に皺が寄った。そんな麻望をじっと見つめて、ふっと表情筋を緩ませて、
「麻望がよく知ってる人だと思うよ」
と、琳は微笑みながら答えた。
「何ですって!?じゃ、じゃあ、冬也とか?」
「ほー?」
「えッ、迅?」
「んー?」
「…翔太…?」
「ふふーん?」
またしても、琳に軽くかわされる麻望。
「琳の意地悪!教えてくれたって良いじゃない!」
何故自分がこんなに怒り狂っているのかも分からずに、麻望はぷりぷりと怒っていた。
愛のかたち 琳の場合
今流行のコスメ。今流行のファッション。どこの時代のリバイバルだと言わんばかりの、使い古されてきたファッショントレンド。麻望はそういうものを好む。今も私の目の前の彼女は、ショーウィンドウに飾られたマネキンが着こなしている蛍光ピンクのスカートをじっと見つめている。この子はそんなものが欲しいのか?と、時々疑問に思うのだが、肝心の麻望は眉根を寄せていて、険しい顔をしている。こういう表情の時の麻望は大抵考え事をしているので、スカートが欲しいわけではないのかな、と首を傾げつつ、
「本当に、麻望はいつも難しい顔してるね」
と、中岡琳がいつものように話しかけると、
「別に」
と明らかに図星の麻望から、いつものようにぶっきらぼうな返事が返ってくるのだった。
いつも一生懸命に隠しているようだが、麻望ほど感情が分かりやすい子は居ないと琳は確信していた。なにか彼女が気に掛けているであろう事柄に触れると、はっとしたような表情をする。痛いところを突かれると、苦い顔をする。褒めると、照れる。その素直すぎる反応が面白くて、分かっていながらからかわずにはいられない。
しかし、こんな優しい子をつつき回してしまうのも可哀想なので、琳はつつきたい気持ちを抑えつつ、それでもつつかずには居られずに、側に居るつもりだった。
琳と麻望は、同じ中学校の出身である。
今でこそ全く言及しないが、当時麻望は同級生にめちゃくちゃに虐められていた。第一に麻望は、中学生にしては可愛すぎた。第二に麻望は、中学生にしては聡明すぎた。第三に麻望は、中学生らしく素直すぎた。そして、血統書付きの猫のように気高く静かで、媚びなかった。その卓越した魅力と素直さに付け込んで、何か飛び抜けたものの弱みを見つけて虐げたくて仕方がない者達に、個性を削られるだけ削られてしまった。そんな削り取られた状態の彼女に、琳は出会った。
同級生は麻望の魅力を奪い取るのに必死だったため、当時伸ばしていた髪―――大変だろうに、毎日おさげにしてきていた―――を切れだの、服を地味にしろだの、麻望を一般的な人間、またはそれ以下の存在に成り下げようとした。結果、真っ黒なショートカットの、眉間に皺を寄せた女子生徒が誕生した。周囲からすれば、もう面白くてたまったものではない。自分たちよりも明らかに魅力的な白和泉麻望という女が、魅力個性その他をかなぐり捨てて屈服しているのである。すっかり調子に乗った彼等は、さらにいじめをエスカレートさせていったのだった。
さて、この出来事が少なからず思考回路に影響を与えているのかは分からないが、麻望は自身を「みんな」と同じ、一般的にすることに重点を置くようになった。だからこそ、「みんな」が重んじる流行に敏感なのかも知れない。
琳が自分でも意地が悪いと感じている点だが、琳は、心の穴が空いた者が好きだった。何故なら、その穴を埋めてやれば、余程の事が無い限り、穴を埋めている側の自分が先に捨てられることはないからである。そうやって他者に依存されることに快楽を覚える人間だった。琳はそばで麻望がいじめられているのを敢えて止めずに見守っていたが、徐々に壊れ始める彼女の虚勢に底知れぬ征服欲が湧いて、壊れかけのこの子を自分のものにしたいと強く願うようになった。そうして、しっかりとタイミングを見定めて、麻望に手を差し伸べた。麻望は泣いて縋り、分かってくれるのはあなただけ、と、琳に心を許しきった。そうやって、琳は麻望を自分のものにした。
そうまでして琳が他者を欲しがったのは初めてだった。自分の意地の悪さと悪趣味を理解しながらも、何故ここまで他者が欲しいと思ったのか、壊れかけの麻望を征服してやりたいと渇望したのか、琳には分からなかった。しかし、あるとき、よくある恋愛系のコラムに書かれた一文を目にして、彼女はそのわけを悟った。
【それが、我々なりの愛のかたちではないかと思っています。】
そういうわけで中岡琳は、白和泉麻望という女性を愛していた。意地の悪い動機はさておいて、征服したいくらい彼女を愛し、欲していた。それでも、潰れてしまわないように、優しく優しく撫でて愛でてきたつもりだ。だから、琳にとっての麻望のイメージは、可憐で儚げな一輪の花だった。服飾店に入るなり花柄のワンピースを見つけて、
「これ!麻望に似合うんじゃないの」
と差し出した。照れながら自分には似合わないって言うんだろうな、と琳が期待していると、
「いや、アタシ、こんな可愛いの似合わないから…」
ほら見たことか。麻望は分かりやすいくらい照れていた。こんな可愛い女の子が、自分の言動で顔を真っ赤にして恥ずかしがっているというだけで、琳の心は満たされた。自分でもなかなか危ない趣味だなぁと、ぼんやり思うことがある。
琳は、女である自分が女を愛しているので、女の子は必ず男の子に恋をして、やがて愛し合い、付き合うものであるとは信じていなかった。そして仮に、琳の前に現れたのが麻望ではなく男であっても、心に穴が空いていて、穴の埋め甲斐とからかい甲斐がある以上、きっとその男を愛していたのだろうと思った。子孫を残す、生殖の観点では女同士というのはヘテロセクシュアルに劣っているのだろうが、こと自分以外の何かを愛することに関しては、同性だろうが異性だろうが、何の優劣もないと、琳は考えていた。かくして、琳は自分をレズビアンだとは思っていなかったが、純粋なヘテロではないと確信していた。しかし、
「彼氏ほしー…」
麻望がうわごとのようにそう呟く度に、琳の心の波はうねりを上げ、ざぶんと大きく音を立てるのだった。麻望にも愛したい対象が、男がいると思うだけで、顔にこそ出ないが、琳は焦燥感を覚えた。自身は麻望も男性も平等に愛せるが、麻望はそうではないのだろうか。そう考える度に琳は、自分が麻望を愛しているという証を麻望に一つでも多く残したいと思った。だから、『中岡琳が選んだワンピース』を麻望に持っていて欲しくて、彼女に熱くお勧めしたのだ。
素直ゆえに他人に流されやすい麻望は、見事にワンピースの購入に踏み切った。
ショッピングが終わった後、いつものようにフードコートに移動して昼食と洒落込んだわけだが、目の前でジュースを啜っている麻望に、気になっている人はいるのかと問うてみた。すると、
「まぁ…居ると言えば居る…けど」
と、彼女にしては包み隠さない答えが返ってきて、度肝を抜かれた。
「わあ本当に」
間抜けな声を出す声帯の、それよりももっと身体の奥の方で、溢れ出す焦燥感と共に心臓がうるさいくらいにどくどくと音を立て始めた。居ない、という答えを期待していたのだが、予想外の言葉が返ってきて、琳は自分でも驚くほど狼狽した。そうか、やはり、麻望は男を愛したいと思うのか―――
しかし麻望は、彼氏が『存在してくれさえすれば』良いのだ、と続けた。
「なるほど…」
琳は、思考した。人を愛することがよく分からない、けれど、『彼氏』という名前のついたものが欲しい。とすると、彼氏を欲しがる感情の動機は、愛とは別の場所にある。愛したいから側にいるのではない。ということは、自分の愛の敵ではないということ…?
「逆に聞きたいんだけど、琳には気になってる人がいるの?」
「ほ?」
思いもしないカウンターが麻望から飛んできて、琳は面食らった。この質問の意図するところが読めない。琳にしては珍しく、目の前の可愛い可愛い麻望のことが分からなかった。分からないなら、分からないなりに真っ直ぐに答えるべきだろう。琳はふぅ、と溜め息をついて、
「いるよ」
と、きっぱりと答えた。
「えっ?何組?」
今度は麻望が狼狽する番だった。誰?と立て続けに聞かれ、ひょいひょいと質問を軽く躱していくのだが、麻望は諦める気配がなかった。彼女にしては、かなり躍起になっていた。
しかし、麻望が知っているであろう男子生徒の名を片っ端から連ねても、琳からはストライクを奪えなかった。そうして、結局のところ、麻望はぷりぷりと怒り始めたのだった。
「琳の意地悪!教えてくれたって良いじゃない!」
真っ赤になってむくれる麻望。自分に踊らされて無邪気に怒っている彼女を見ると、やはり琳の胸の中は、底知れぬ征服感と、ほんの少しの加虐心と、愛おしさに包まれるのだった。
ふ、と、琳は笑う。そうして、心の中で麻望の問いに答えた。
―――それはね、あなたのことだよ。