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2-03 我が儘、或いは

「お早うございます、迅君」
「おー、おは…よ…?」
翌朝の教室で迅の目に飛び込んできたのは、奇妙な光景だった。
いつもであればエミリーに挨拶を返した途端に鼠輩ごときが僕のお嬢に口を聞くなと言わんばかりに彼女をエスコートする留学生・エドワードに睨み付けられ、加えて分かりやすいほどの悪態をつかれるところだったが、否定的な声の一切が鳴らなかった。今日の彼は宛ら出過ぎた悪戯をして飼い主に叱られた後の犬のごとく、いたくしおれた様子でエミリーの後を着いてきていた。エミリーのそばで尻尾を振っていた昨日までの彼は一体何処へ行ってしまったのか。それならまだしも、
「…お早う」
あろうことか憎いはずの迅に挨拶をしてきたのだ。
「お、おはよう」
戸惑いつつも手を挙げて返した。エドは面食らったようだったが、後方のエミリーをちらりと窺うと分かりやすく大きなため息をついて、手をヒラヒラと振って応じたのだった。
何がどうなっているのだろう。さっぱり分からなかった。困惑する迅をよそに、エミリーはエドに連れられて―――今やエミリーがエドを引き連れているようだった―――迅の側へとやってきた。
「…お嬢、椅子を引きましょうか」
エドが椅子の背もたれに手をかけるのだが、
「有り難う。ですが椅子くらい自分で引けます。席に戻るのよ、エドワード」
とエミリーに一喝されて項垂れてしまった。
迅には全てのやりとりが英語で聞こえており、意味を汲み取ることなど到底叶わなかったが、エドが弱っていることくらいは理解できた。
「なあ、エミリー」
彼が去ってしまうとたまらず迅はエミリーを呼んだ。なんでしょう、とエミリーが小首を傾げた。
「その…エド、どうかしたのか?」
昨日までの威勢は何処へやら、今や小さく丸まってしまったエドの背中を見やりながら、なるべく小さな声で問うてみる。エミリーはしばしの間その硝子玉のように透き通った丸い瞳を更に丸くしてきょとん、としていたが、
「彼は大丈夫ですよ。何の問題もありません」
それに、と一呼吸置いて、
「昨日も言ったとおり、迅君は何も気にしなくてよいのです。これは単なる私の我が儘なのですから」
と続けた。
我が儘?迅は首を傾げるほかなかった。エミリーの言う我が儘と意気消沈するエドとの間に一体何の関係があるのだろう。ますます何のことだか分からない。気にするなと言われた以上口を出すつもりはなかったが、捨て置けないと思ったら声をかけようと迅は密やかに決意した。


エドの派手な沈みっぷりはたちまちクラス中に広まった。
昨日まで我が物顔で威張り散らして他の追随を圧倒していた大男が今日は大きな背中を丸めて机に蹲っているというのだから、どんなに察しの悪い学生であっても何かあったに違いないと容易に気付くだろう。陰で悪口合戦で盛り上がっていた生徒たちも例外ではないようで、彼が精神的ショックに陥った責任を追求されるのではと気が気ではない様子だった。
杞憂に過ぎない、と迅は思った。陰口を叩かれた程度では彼の心は折れないだろう。エミリーの幸せだけを願いひたすらに邁進する彼にとって、赤の他人の戯言などほとんどノイズと同義のはずだ。そもそも誰かに陰口を叩かれたところで彼がひと睨みすれば震え上がって退散してしまうので、もしかするとノイズに感じる間もないかもしれない。そんな剛健なエドをぽっきりと小枝のように折ることができる人物がいるとすれば、それこそ彼が愛するエミリーお嬢ただ一人ではなかろうか。
実際のところ、エドは授業中に時折寂しそうな顔でエミリーのことを顧みたり、そののち恨めしそうな顔で迅に一瞥くれたりしながら午前中を過ごしていた。本人に問うまでもなく、彼が落ち込んでいる原因はエミリーのようだった。
しかしながら、仮にエミリーの仕業だとすれば動機が思い当たらない。穏やかに凪いだ夜の海のような少女の胸の内にも、記録的爆弾低気圧が押し寄せれば白く泡立ちうねるほどに荒れた波間が覗くことがあるのだろうか。まるで想像もつかない。エミリーのことは、誰にも分からない。


「見なさい。彼のどこがポンコツなのかしら」
「お、お嬢、今朝から一体どうしてしまったのですか!もしも貴女がお怒りになるほどの無礼を働いてしまったのなら、どうかお許しを」
「許しません。貴方が自分の過ちを認め、彼を認めるまで私は引き下がれないの」
「やはりあいつのことでしたか!お嬢、再三申し上げますが僕はあいつが気に入らないんです。こればかりは貴女の頼みであっても譲れない。大体野郎の顔なんか見て何が楽しいん…あ痛っ!」
「なんてことを口走るの、エドワード。そんな口はこうよ」
「あぁあ〜っ!」
昼休みを迎えたD組の教室で、宛ら釣り針で口を引っ掛けられて悶える魚のように、エドがエミリーに口元をつねられて迅の方を向かされていた。
エドからの熱い視線を浴びながら迅は居た堪れなさのあまり昼食に手をつけられないまま俯いていた。いや、エドの視線だけであればどんなに良かったことか。今やエドの視線に加え、事情を解さないD組の面々の戸惑いの目が迅に突き刺さっている。飯など喉を通るはずもない。
「迅ってば、エドに何かしたんでしょ。あんなうるうるした物欲しげな目でじっと見つめられるなんて」
渦中の人間に対して随分と気楽なものだ。迅の前に腰掛けた翔太が、もくもくと菓子パンを頬張りながら問うた。「何もしてないしあれを物欲しげな顔とは言わない」と迅は首を振った。
「ざまあないわね。むちゃくちゃやってる奴がひどい目見てるとスカッとするわ」
ふん、と麻望がエドの方へ嘲笑を浴びせかけながら弁当箱を机の上に置いた。意地が悪いなあ、と翔太がぼやく。
「なあ、何か心当たりとか無いのかよ」
「本当に何もしてないんだ。朝から元気がないとは思ってたけど…」
侑斗が購買のパン―――照り焼きチキンサンドイッチ、やきそばパン、メロンパンと、バリエーションが豊富だ―――をどれから食べようかと思案しながら問うたが、迅はただ首を左右に振るしかなかった。だって本当に心当たりがないのだ。彼は教室に入ってくる前から既にしおれていたのだから。

「お嬢…何やら黒羽が困惑していますが」
当然のことながら、そちらを向かされているエドには否が応でも迅のことが目に入る。彼は目に映った事実そのままをエミリーに伝えた。
「Good boy.その通り、貴方の横暴な振る舞いが彼をそうさせたのよ」
エミリーはうんと頷いた。
事実かも知れないが、少なくとも今黒羽が困惑しているのは明らかにお嬢のせいでは、という細やかな反抗の言葉が危うく出かかった。
「何か言いたげね」
エドの心の中を見透かすように、無機質ゆえに冷ややかともとれるナイフのような鋭い指摘が飛ぶ。いいえまさかそんな、とエドは早口気味に言葉を連ねながら首を横に振った。
「…お嬢は、黒羽のことを僕に認めさせたいと仰っていましたね」
エドが問うと、そうよ、とエミリーからほとんど間を置かずに返答が返ってきた。

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今朝のことだった。エドワードはいつも通り、愛するエミリーお嬢よりも一足先に校門に辿り着き、彼女の到着を心待ちにしていた。
エミリーの爺やの車が到着すると、まるで待ち侘びた春の訪れに花が綻ぶように、そして綻んだ花の周りで蝶が舞い遊ぶように、後部座席からエミリーがふわりと姿を現した。
「貴方にお話があります」
最初にエミリーは、学生鞄を身体の後ろで両手で持つようにしながらそう口にした。彼女はほっそりとした二本の白い足でコンクリートの地面を踏んでいる。こんな楚々としたガラス細工のような女性に鉄アレイのようにヘヴィな学生鞄など持たせられない。早く預からなければ……
「昨日のこと、忘れてはいない?」
エドが手荷物を目掛けて伸ばした腕から逃れるように、エミリーは学生鞄を身体の後ろに隠してしまった。
「え?ええ、まあ…」
鞄を遠ざけられ、エドは伸ばした腕を引っ込めざるを得なかった。
昨日の放課後、時間をかけてでも迅が悪人でないと分からせてあげるとエミリーは言い放った。時間があまり経っていないのもそうだが、なにぶんエミリーの有無を言わせぬ圧力に背筋が震えたのもあって記憶が鮮烈に刻まれている。
「では、貴方は覚悟の上で此処に居るのね」
「へ?」
彼女の可愛らしい顔に似付かぬ覚悟などという仰々しい言葉にエドが困惑していると、
「本日。貴方が迅君に理不尽な怒りをぶつけたら、容赦しません。そして貴方の間違った認識を正す為に、彼をひたすらobserveしてもらう」
と、ただならぬ言葉の数々が飛び出してきた……
「ちょ、ちょっと待ってください、観察ですって!?」
エドは思わず仰け反った。
「そのとおり。誤った認識は、貴方がじっくりとその眼で見定めることで正さなければなりません。それでもなお私が違えているというのなら、じっくり観察した上でその根拠を私に示して頂戴」
え、あ、と意味を為さない呻き声を漏らして返答に困っているエドを差し置き、いつの間にやらエミリーはすたすたと校舎の入り口へ歩を進め始めていた。
「お、お待ち下さいお嬢!」
エドは彼女の後を慌てて追いかけ、追いつきはしたが鞄を預かることは叶わず、沈鬱な面持ちで朝のD組の教室に姿を現したのだった。


「如何ですか。半日経ちましたが、彼が何か私や貴方に非道いことをしましたか」
黒羽迅は誠実で心優しい少年であるという事実と向き合わされた今、何かエドに反抗する術があるとすれば、己の感情に任せて汚い言葉で捲し立てることしか残されていなかった。そんな感情の発露など幼子でもできる。エドは賢い。賢いが故にメソッドとして採択しない。賢いからこそ正論を並べて雁字搦めにするのが最も効果的な追い詰め方だった―――
「…何か言いたげね」
当人は返答も寄越さずに床を見つめて押し黙るほかなかった。眉間に谷が刻まれるほどに、教室の無機質な床の表面を睨みつけていた。もう認めるしかないが、自分の中に渦巻く感情を宥めることができないのだろう。
「……」
エドは口を開きかけたが閉じ、分かりやすいほどにぎゅっと眉間に皺を寄せて、膝の上で両の手をぐっと組み合わせた。ほとんど怒りの現れとも取れるその振る舞いにエミリーは人知れず身構えたが、
「…いいえ。僕から申し上げることは何も。彼は間違いなく、何もしていないです」
と彼が首を横に振って認めるに留まり、ほっと息をついた。
「手荒なことをして御免なさい。貴方はこうでもしなければ、取り合ってくれないと思ったから」
「…僕は貴女からそう見えているのですね」
す、とエドの目元に影が落ちた。自分の手を額のあたりに添えたのだ。エミリーは肯定の意を示すために「ええ」と機械的な返事を寄越したが、どのような意図で問いかけ―――または、確認しているのかは分かりかねた。敵対心を抱かれていることに拗ねているだけなのか、或いは―――
「…ふ。承知しました」
ふと、エドはどうとでもなれというふうに笑みを零しながら頷いた。そうして、エドは迅の方を見遣った。彼と目が合った迅は、これでもかと言わんばかりに吃驚して目を丸くしている。
「お嬢、あいつに非道いことをされていませんか」
エドに問いかけられ、エミリーは「ええ」と再び肯定の意を示した。
「迅君は私を四六時中縛らないし、意地悪もしない。私を特別扱いしない。ましてや非道いことなんて、一度もされたことがない」
エミリーが応えると、エドはふん、と再び笑った。何がおかしいのだろう。
「特別扱いしない、ねえ」
なるほど、とぼそりと零しながらエドは立ち上がり、迅たちの方へと歩を進めた。
かたや迅の側はといえば、堂々とした闊歩を前に遂に来たぞと言わんばかりに仰天した。やがてエドを前にした迅の怯えぶりときたら、まるで猫に狩られる前の鼠のようだった。
暫しの間、昼食を取るべく集められた机と椅子を挟んで猫と鼠とが対峙する構図が続いた。これでは埒が開かない。痺れを切らしたエドは先に口を開こうとしたが、
「よ、よお、エド。今日は元気ないけど、どうした?何かあった?」
窮鼠は猫に歯を立てたりはせず、殊勝なことに引きつった顔で気遣いの言葉をかけた。エドは驚いたようにしばしの間瞳を丸くしていたが、取り繕うかごとくに「はあ?」と顔を顰めた。
「元気がないだと?僕はいつだって健康体だが」
腕を組んで、ふんと鼻を鳴らして応じた。
そうして再び猫と鼠の間に沈黙が訪れた。いつでも来い、拳は避けてやると言わんばかりに迅の肩が緊張に強張っているのを見、呆れたようにエドは切り出した。
「…お前ら、僕がお前らを取って食ったりするとでも思っているのか」
すると窮鼠の取り巻きであるところの麻望が大きな大きな空気の塊を吐いて、
「……上から見下すのは良いから、ここまで来たなら要件を話しなさいよ」
と、じっとり彼のことを睨みつけた。
エドは何やら決まりが悪そうに後ろ髪をくしゃくしゃと掻いて、あー、とか、その、などと口籠もり始めた。
「……かった」
その勢いに任せて何やらもごもごと零すので、迅は「え?」と首を傾げた。
「……だから、悪かったって言ってるんだ!うう、二度も言わせるんじゃない!くそっ、なんでこんな馬鹿とお嬢は…」
エドはたしかに自分の口で、エミリーに促されることもなく、謝罪の言葉を述べた。
「勘違いするなよ。僕はお嬢と黒羽の関係を認めたわけじゃあないからな」
誠実な彼の一面に驚いたのも束の間、エドはふん、と大袈裟に鼻を鳴らすと、つん、とそっぽを向いてしまった。随分と誇張された拒絶のポーズだった。
「いや、俺とエミリーはふつうに友達だけど…」
迅は後ろ髪をぐしゃぐしゃと掻きながらエドの発言を否定したが、
「とにかく、ありがとう。エドともいい友達でいたいから、よろしくな」
と、白い歯を見せてニカッと笑ってみせた。
エドは眩しい笑顔の前でしばらくしかめっ面で沈黙していたが、エミリーの方を振り返った。彼女は、言葉こそ何も発さなかったが、ただ一回、うん、と頷いた。
「………よろしく」
エドは眉間に寄せられるだけ皺を寄せながらも、右手をおずおずと差し出した。迅は快く応じ、彼の手をがっしりと掴んだ。二人は握手を交わした。
おー、と翔太は拍手をしたが、麻望、侑斗はといえば顔を見合わせて、ふっと何かから解き放たれたように脱力してしまうのだった。


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「ミスター杉本」
授業終わりのホームルームが終了し、生徒たちが部活動や帰路など、各々の目的地へ散り始め―――無論、迅やエミリーたちもその例外ではない―――人影もまばらになった教室で、エドは杉本を呼び止めた。
「ほい?どうした?」
エドは少し呼吸をおいて、ちらりと後方を窺い、教室に迅やエミリーたちが居ないことを確認した後、
「ここ数日の態度、立ち振る舞い、…大変失礼いたしました。僕が間違っていた」
と、深々と頭を下げて詫びた。目の前に現れた背丈の高い男の頭が突然視界から消えたので、杉本は思わず「おっと?」と溢した。
「…そうか、成る程。あまり気にしすぎるなよ」
杉本は驚いたように目を見開いていたが、ふと納得したように頷くと、再びふっと柔らかい表情に戻り、エドを労った。
「知ってるさ。お前が黒羽に謝ったり、青葛とのことでしおれてたこともな」
何せ俺の趣味はデータ収集だから、と、杉本は教卓の上でプリントの束をとんとん、と落とすことで紙の端を揃えている。データ収集?とエドは訝しむように眉を顰めたが、問いかけるまでには至らなかった。何やらいつも慌ただしく動き回り、無造作にプリントを整えている杉本だが、心なしか今その手元は穏やかに見えた。
「俺は人のことを間違ってるだとか頭ごなしに否定したりはしないけれど、自分が間違っていると思ったことを認めてすぐに正せるのは、良いことだと思う」
端の揃ったプリントの束が、再び机上に戻る。
「いや…僕は、お嬢に促されるまでは何も見えていなかった…」
エドは項垂れて、首を横に振るばかりだった。
「やるなあ、青葛。それなら青葛に感謝しないとな」
上手くやっているようで何より、と悪戯っぽく笑う杉本につられて困ったように微笑みながら、エドはそっと頷いた。

「ところで…」
杉本はすうっとその笑みを教室の埃っぽい空気の中に溶かしてしまい、プリントの束を他所に腕を組みながら、教卓に身体を預けるような体勢でエドに向き直った。窓から差し込んでくる夕陽の朱が彼の右手に填めている―――時計は利き手と逆に填めるものだ。左利きなのだろう―――腕時計の文字盤に反射して、きらりと煌めいた。
「エドワード、普段はお家の人に送迎してもらって琉晴(ここ)に来ているんだよな」
エドは怪訝な顔になった。何の話だとでも言いたげだ。いつの間にか、教室にはエドと杉本の二人きりになっている。
「はい。そうです」
「宛ら青葛スタイルといったところか」
「そんなところです」
「成る程ね。運転は親御さんが?」
「…いえ。使用人の運転で。両親は、イギリスに居る」
返答を寄越すとき、エドは僅かに言葉を詰まらせた。言葉選びに時間を要した、または単に用意していた台詞を噛んだとも解釈できる些細なコミュニケーション・ラグだったが、焦燥によるものだと彼の態度が裏付けていた。現に朱の空の海の中にちいさな魚影を探すように、エドの目がついついと泳いでいる。
「ふうん」
杉本は相槌を打ちながら目を細め、訪れた暫しの朱の静寂の中で俯いたエドに注力していたが、腕を添えた人差し指でとんとん、とタップし、調子を取って切り出した。
「いやなに、この後実施するであろう三者面談のことが気にかかってな」
はあ、と怪訝な声が返ってきた。三者面談?と顔に書いてある。無理もない。留学生であるエドは三者面談などおこなう必要がないので、存在を知らされていない。むろん、教師である杉本はそんなこと百も承知だ。

それもそのはず、杉本は密やかに関心事を暴くために賭けに出ていた。
杉本の直近の関心事は、「エドワードが琉晴に来た理由」だった。琉晴きってのアウトサイダーといえば杉本裕行である―――杉本も少なからず自分の異端児ぶりを自覚しているようだ―――が、異端の存在でありたいならば異端を認めよと言わんばかりに、二学期が始まる直前にあからさまに不自然なタイミングで留学生を受け入れてはくれまいかと一方的な申し出があった。
俺に意地悪したいにしたってもーちょい上手いやり方あるでしょ、と茶化そうとしたが、

「いや…急なことだったからみんな驚いていて…」
「誰も事情を知らないんですよ」
「杉本に任せる、って言われただけなんだ」

と、教諭陣もただ狼狽えるばかりだった。

―――この男は相当乱暴なやり方で転がり込んできたに違いない。それこそ…行く宛のない家出少年の泣き落としみたく…

という具合にアウトサイダー・杉本はアウトサイダー・エドワードに当初から目を付けていたが、その好機がたった今訪れた。
エドが謝罪のために選んだ、人影もまばらな教室での一対一の構図。『親御さん』という単語への、過剰な反応。ここから攻め入れと、杉本の勘がこめかみの辺りで閃く。
「三者面談ってのは、教員である俺と、生徒であるエドワード、そしてご両親のいずれかの三者でおこなう面談のことさ。そうかなるほど、親御さんはイギリスにいらっしゃるのか」
畳み掛けるほどに、エドの瞳が、かっと見開かれてぐらぐらと揺れ始めた。データ狂杉本とて多感な男子高校生に精神的ショックを与えるのは不本意だったが、子供だからといって勝手な都合で黙って居座られては気味が悪いのもまた事実。甘やかすのも大概に、だ。
「基本的には三者の現地参加が原則なんだけれど、親御さんのご都合が良ければウェブで開催しても良いかなと思っていてだな、どう思う―――」
次の瞬間、流石の杉本も面食らった。エドはひゅっ、と喉が鳴るほどに不自然な酸素の取り込みをおこない、引き攣った表情のまま震えた声でもって「両親は多忙で都合が悪いんです」とやっとの思いで溢した。
「平日は勿論のこと、土日も、一週間、いや一ヶ月、一年中忙しいので、申し訳ありませんが面談はできません」
身体の横で握り拳がわなわなと震えている。見てくれは逞しい生徒だと思ったが、怯えた姿を見るとやはりただの年頃の子供でしかなかった。
「…そ、そう?」
「…はい」
「…打診すんのもダメ?」
「はい」
と言ってもエドは杉本に使用人の電話番号しか伝えておらず、両親の連絡先など控えていないので―――極めて異常なことだ―――一方的に探りを入れることすら叶わないのだが。

―――これ以上は流石に良くない。こりゃお手上げだな。

「ああ、分かったよ。また三者面談の時期になったら改めて相談しようか」
杉本は組んだ腕をぱっと解放し、両手をひらひらと振って笑った。半ば降参のポーズだ。もっとも、三者面談の時期になれば留学生に対する面談など存在しないことが明らかになるだけだが。
「…お心遣い感謝いたします」
と、エドが零したのはお礼の言葉だった。仮に自分がエドの立場ならば、よくも人の心を試すような真似をと胸ぐらを掴み上げるだろうと勘繰っていたが、実際の杉本の眼前にはしおれたエドの姿があるだけだった。いいや良いんだよ、と何が良いのかも分からずに杉本は肩を竦めて返事を寄越した。

―――では、最後に何か一つ仕込むとしたら…

杉本はふむ、と唸って、そうだと閃いたような戯けたポーズを取った。
「ああそうそう、話を戻すが、もし青葛のことが気にかかるなら―――」